2009年05月04日

パリの小さなパン屋さん



14巻のル・マルレオケ定期公演後しばらく経った頃のお話です。




Paris168.jpg


眩しい新緑が、朝靄の中を揺らめいている。
爽やかな春の風を受けながら、千秋は息を弾ませ軽快にパリの街を走り抜けていく。
石畳の感触がジョギングシューズを通して、リズミカル身体を揺らしていく。

長く暗い冬が終わり、パリの街にも春がやってきた。
マロニエの花で彩られた小路を息を弾ませながら駆け抜け、
千秋は季節の移り変わりに心躍らせていく。

いつものジョギングコースも終盤に差し掛かってくると、
香ばしいパンの焼ける匂いが鼻腔をくすぐる。

今日も、寄っていくか……。

匂いに惹かれるように千秋は、セーヌ河沿いにある小さなパン屋の扉を押すと、
ベルがチリンチリンと鳴り、来客を告げるのだった。


bread23.jpg


小さな店内には、金色に焼けたパリッとした皮のバゲットやバタールやエピ、
丸々とした金色のブール、発酵バターたっぷりの何十層にもなったクロワッサン、
真っ白なマッシュルームのようなシャンピニオン、
砂糖と卵をたっぷり使ったつやつや光るブリオッシュなどの焼きたてのパンが、
所狭しと並べられている。
店内中、こんがり焼けたパンの香ばしい匂いで充満し、
千秋の空っぽの胃を刺激するのだった。

「あらムッシュ、おはよう。今日も早いのね」
カウンターから店主の奥さんが、ふくよかな顔をほころばせながら、話しかけてきた。

「おはようございます、マダム。今日もいつものをお願いします」
「おやムッシュ、おはよう。今日のパンも世界一だよ」
今度は店奥から、店主がニコニコしながら現れる。

もうすっかり白髪な店主は、千秋が幼い頃からこの何世紀も続くという、
歴史あるパン屋の奥の石焼釜でパンを焼いてきただけあって、
その言葉は決して言い過ぎではない。
少なくともバゲッドにかけては、これ以上のものに千秋は出会ったことはなかった。


jam3.jpg


奥さんはニコニコしながらバゲッドを2本、そしてクロワッサンを4個、
それぞれ紙袋に詰め、そして自家製のミックスベリージャムを棚から一つ取り、
千秋に手渡した。

「え、いや、ジャムは頼んでませんが……?」
「いいのよ、いつも買ってくれてるからサービスよ。
 それに今度ルー・マルレオケの常任に就任するんでしょ?そのお祝いよ」
驚いて店主を見ると、ニコニコしながら千秋を見つめていた。

「家内も私も大の音楽好きでね。マルレオケは昔からの会員だったんだが、
 最近はこういっちゃなんだけど酷くてね。もうやめようかと妻と話してたんだが、
 今度君が秋から就任するって聞いたんで、続けようかと思ってね」

「あなたのウィルトールでのデビューコンサートは、実に素晴らしかったわ!
 それに、この間のマルレオケでの定期公演でも、よく最後まで諦めなかったって、
 主人とも話してたのよ。
 あなたならきっと、あのシュトレーゼマンがいた頃のマルレオケにしてくれるってね」

「……ありがとうございます。頑張ります」
目頭がじんわり熱くなるのを感じ、千秋は悟られないように、慌てて頭を下げた。

「今度、あの可愛い奥さんも、ぜひ連れてきてね」
「え、あ、いや、まだ結婚は……」

「確かノ・ダメっていったかしら。前にあなたの代わりにパンを買いにきてくれて、
 主人がいつもお世話になっていますって挨拶までしてくれて。
 あなたが小さい頃お使いに来てくれた時の話や、音楽の話で盛り上がったりなんかして、
 とっても楽しかったわ」

あいつ……。

呆れつつも、なぜか否定する気になれないから不思議だ。
代金を払って紙袋を受け取ると、香ばしい匂いと温かなぬくもりが、
紙袋を通して伝わってきた。
それらはまるで夫妻の人柄のように、温かく、そして心地良い。

「それじゃ、さようなら」
「ありがとう、また来てね」

ベルを鳴らしながら店を出ると、朝靄は晴れ、朝の光が目に眩しい。
若葉が風に揺れる中、温かな紙袋を抱え、家路へと急ぐ。


あいつ、まだ寝てるだろうか?
昨夜遅かったけど、そろそろ起こさないとな。
朝食の時にでも、今朝の話をしてやろう。
パン屋の夫妻とどんな話をしたのか、その時にでも聞きだすか……。

そして……勉強をもっと頑張らなくては。
あの夫婦の期待に応えるためにも、期待してくれている人達のためにも、
そしてなにより自分自身のためにも。
なんとしてもマルレオケを立て直さないといけないのだから……。


Paris161.jpg


風が吹きぬけてマロニエの街路樹を揺らし、白い花吹雪が頭上から舞い降りていく。
香ばしい匂いに誘われるように人々は目覚め、今日もパリの朝が始まるのだった……。


―――fin―――



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posted by 秋月 楓 at 02:32| Comment(2) | のだめSS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつも更新を楽しみにしています。


最初に載っていたパン屋の写真見てびっくりしてコメントさせていただきます。


あれ、10区のMOISANの写真ですよね?

2年前にあそこで研修していました。

二週間という短い期間でしたが、リアルウルルン滞在記してきました。


初パリが会社の研修で、1人で放り出されたのが今でも鮮明に思い出されます。


ここが、のだめの世界なんだなぁ、と感動してましたぴかぴか(新しい)


って先走ってコメしちゃいましたが。



これからじっくり読ませていただきますほっとした顔ぴかぴか(新しい)


いきなりで、すいませんでしたあせあせ(飛び散る汗)


Posted by ひろ at 2009年05月08日 09:55
>ひろさん
こんにちは!
この写真のパン屋さん有名だったんですね!
素材サイト様からお借りしてるものなのですが、お気に入りだったので、
だいたいの場所と店名がわかって嬉しいです。
でも2週間もプチウルルンなんて羨ましいです。
パリは本当に美しく素敵な街なので、
いつかまたパリに行く機会があれば、ぜひこの店に訪れて買い物してみたいですね。
素敵な情報をどうもありがとうございました!(^▽^)
Posted by 秋月 楓 at 2009年06月08日 01:02
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